『 癒し 』 と 『 目標達成 』 のための 『 メンタル ・ サポート 』



image 『スピリチュアル』とは
目には見えない大切な世界のこと。

あなたの「ゆとり」を与え、
あなたの毎日を「豊か」に彩るエッセンス



◆ 『スピリチュアル』との付き合い方


メンタル・ヘルスやセラピーを扱う上で、

  『スピリチュアル』

という考え方と出会います。

精神世界や霊性などとも呼ばれますが、
主に神様や宗教に代表されるような目に見えない超自然的な存在
(たとえば、臨死体験、前世、守護霊、ハイヤーマインド、
 シンクロ二ティ、波動などと呼ばれるもの)を信じ、
あまり科学的とはいえないルールのことだと私は思っています。

私自身の立場としては、スピリチュアルに関しては
『釈迦の無記』という立場を取らせていただきたい。
(「実際にわからないことは語らない」という立場)

ただ、私自身、セラピーを扱う上で、
合理的や科学的でない(と感じる)経験をすることもたまにあります。

また、そうした偶然かつ不思議に感じる出来事が、
クライアントによっては、強いインパクトとなり、
好ましい影響を与えることも現象としてあると感じています。
(そうしてユングはオカルトにはまっていくわけですが…。)

現実世界というものは、我々が思っている以上に理不尽で、不合理なものです。

そういう世界においては、

  わざと物事を曖昧にしてみたり、
  説明のつかない出来事に独自の意味を与えてみたり、
  ちょっとした不思議な感覚を信じてみたほうが、

現実世界との折り合いがうまくつき、
平穏に過ごすことができるケースも間違いなくあります。
(良い悪いではなく、プラセボ(偽薬)のように、
 実際には効果がないものが人体に良い影響を与えることは現実にある。)

そして、占いに代表されるような気軽なプチ・スピリチュアル的なものを
多少、素直に楽しめたほうが豊かな世界であるかな?とも、現在、私は感じています。

深い苦しみの中にいれば、時には軽い現実逃避が必要な時期もあるでしょう。

そもそも人は誰もが多かれ少なかれ、自分独自のフィルターを通して世の中を見ており、
本当の現実を見ているわけではないのです。
(それらのフィルターが、厳しい現実に対しクッションの役割をしてくれている。)

常識的に思っている現代社会のほうにだって、共同幻想はそこかしこにあります。
(例えば、資本主義という社会の中では、貨幣に必要以上に価値を置いている人もいるでしょうし、
 原発に対する「安全神話」なども今となっては、ただの幻想(ファンタジー)であったと言えるでしょう。)

確かに、目に見える世界が全てではないし、測定不可能な現象も現実にはあります。

信仰というのは、自由です。
いろんな考え方の人がいるからこそ、世界は豊かなのです。

多少の迷惑をかけるくらいであっても、
宇宙人やUFO、幽霊、血液型による性格判断などを信じていたって(お金を信仰していたって)、
一向に構わない。

大切なのは、

  ・ 何かを信じることによって、
    現実の複雑な世界(実際の社会)と、うまく折り合いを付け、
    自分にとって、少しでも充実した毎日を過ごすこと。

そして

  ・ 現実の毎日の生活を、豊かに彩るためのエッセンスとして。

これが、スピリチュアルとの適切な係わり合い方なのだと思います。

◆ 『スピリチュアル』の危険性


ゆえに気を付けなければいけないことは、

  ・ 非現実的なスピリチュアルを過剰に信奉することで、
    実社会から乖離し、現実の世界のほうを否定するようになること。

自己啓発セミナーやネットワークビジネスなども同じことが言えますが、
そこの独自のコミュニティと、外の世界との価値観のギャップが広がりすぎて、
日常生活に支障が出てくるようでは問題です。

幸福になるために、自分の価値観を他人にも押し付け、
周囲の意見に耳を傾けられなくり、
自分にとって大切な人たちとの人間関係を壊すようになっては本末転倒です。

メンタルを扱うものとは、よく切れる『両刃の剣』のようなもの。

適切に使えば、とても効果を発揮しますが、
ちょっとでも使い方を間違えると、他人も自分も傷つけてしまいます。

また「マインドコントロール」という言葉もありますが、
心理的に弱っているときほど、非現実的で荒唐無稽なスピリチュアリティを
信じてしまいがちなのです。

人の心の弱みにつけ込んで、悪用してしまう人たちは確実に存在します。
(一方、良かれと思って、盲目的かつ強引に押し付けてくる人たちもいます。)

メンタルにかかわる人は、誰よりもこれらの危険性を知っていなければならない。

自分で言うのもなんですが、
やはりメンタルを扱うものには、慎重に接することがまず大切です。
(いわゆるスピリチュアル的な傾向が強ければ、なおさら慎重さが必要かもしれません。)

あくまでスピリチュアルとは、あなたの人生を豊かにするものであって、
人間関係に摩擦を生んだり、悩みや苦しみの原因になるものではないのです。

◆ 『スピリチュアル』の注意点


以上のことを踏まえ、いくつか注意点をあげてみたいと思います。

    ◇ 医療にかかわることは、最大の注意を
    ◇ 金銭的に適切かどうかをチェックする
    ◇ 家族や親しい友人の忠告が受け入れられないときには自分を見つめ直してみる
    ◇ スピリチュアルは、強要されてやるものではない
    ◇ 「ここ」ではない「どこか」に「うまい話」はない

 ◇ 医療にかかわることには、最大の注意を

先日、新生児の死亡事故がありました。

とある助産師が「自然治癒力を促す」という錠剤を与えるだけで、
乳児に必要とされるビタミンKを与えなかったのが原因と言われています。

この助産師が属していた団体の「自然治癒力を高める」という考え方は、
『ホメオパシー』と呼ばれます。

セラピーやヒーリングとホメオパシーの思想は相性が良く、
同じ文脈で語られることもよくあります。

人為的な西洋医学に対して、自然との調和を重んじるこの考え方は、
世界中のナチュラリスト達に支持されています。

代表的なホメオパシーのひとつである「フラワーレメディ」を創り上げた
エドワード・バッチの思想の中には、セラピーのヒントになるものがありますし、
実際、私自身、フラワーレメディを試してみたこともあります。

しかし、ここで、重要な考え方は、

 ホメオパシーは、医療に対する「プラスアルファ(+α)」であり、医療のメインではない

ということです。

問題なのは、ホメオパシーを採用するにあたり、現代医療を否定してしまうことです。

これはスピリチュアルに対する姿勢と全く同じです。
スピリチュアル(ファンタジー)を大切にするあまり、
現実の社会(リアリティ)を否定してしまっては本末転倒です。

確かに、うつ病で通院し、クスリを服用していても、
なかなか良くならない人というのもいます。

そういう人たちが、怪しげなスピリチュアルな世界に救いを求め、
症状が改善されるように見えるケースも実際にあります。

また、ガンを切るか切らないか。
放射線治療の激しい副作用などを考えるときなど。

西洋医学のあり方に疑問を感じることもあるでしょう。
結局、人間の生命・メンタルを前にして、現代医療は万全ではありません。

ですが、だからといってホメオパシーに代表されるスピリチュアルな医療が
より優れているかといえば、そんなこともないのです。
(どんなに理論を重ねて、理路整然としていても、残念ながら疑似科学の域を出ていません。)

『生命』というのも自体が、人間の意図を遥か超えたところに存在していると考えるべきでしょう。

ファンタジーは人生を豊かにしてくれます。
ですが、ファンタジーならファンタジーとして、認識することが大切です。

人の心と身体の関係は密接です。
『笑い』が人の免疫力を高め、ガンの治癒に効果があったという研究データもあります。

  「イワシの頭も信心から」

いわゆるプラセボ(偽薬)が人の身体に良い影響を与えることは現実にあります。
(プラセボの効力をどのように考えるかは、セラピーにおいても、とても難しい問題です。
 むしろ、いかに良質なプラセボを創り出すか?という考え方もテーマのひとつです。)

実際に身体を崩すと、感情的にも乱れ、冷静な判断が難しくなるかもしれません。
末期のガンで手の施しようがないときは、ワラにもすがる想いになるのも人情でしょう。

スピリチュアルな世界が心に癒しを与えてくれることもあるでしょうし、
心の平穏が身体にいい影響を与えることだって現実にあることです。

ですが、そんな人たちにつけ込みビジネスとして利用する人たちも確実にいます。
判断はそれぞれですが、気をつけたいところです。

 ◇ 金銭的に適切かどうかをチェックする

パワーストーンなど、幸運のお守りを買って、身につけている人もたくさんいると思います。

また、世の中には御利益がある壺を何百万も出して買う人もいるのでしょう。

価値判断というのは人それぞれですし、
それによって経済的なライフバランスが崩れないうちは問題はありません。

ただ忘れないで欲しいのは、スピリチュアルとは、
自分にゆとりを与え、心を豊かにしてくれるものなのです。

身を削ってまで、出費する性質のものでは決してありません。

一方で、メンタルに関する訓練や勉強をするには意外にお金がかかるのも事実です。

信用できる機関でも、コーチングやNLPを受講すると30万〜50万円とか普通にかかります。
(私自身、やはり今まで百万単位の出費をしてきました。)

カウンセラーやセラピストたちも、高い授業料を払ってスキルを身に付けている訳ですので、
提供するサービスがどうしても高価になりがちなのもしょうがないのかもしれません。

また、メンタルに関する満足度というものは、基本的にプライスレスであり、
価格が付けにくい面もあります。

高いと感じるかどうかは、人それぞれですが、他人になんと言われようとも、
今の自分にとって高額と感じるものには、
すくなくとも 『 今は 』 手を出さないことが賢明です。

何か出費に対する決断を急がされたら、注意しましょう。
焦って借金したり、長いローンを組んでまで出費する性質のものではありません。

(という私は親から借金したり、結婚資金の積立を崩したりして、勉強してましたが…)

あくまで、自分の金銭感覚、自分にとっての基準を大事にしてみてください。

 ◇ 家族や親しい友人の忠告が受け入れられないときには自分を見つめ直してみる

身近に新興宗教やネットワークビジネスにハマってしまった人がいる方は
言わなくてもわかるかと思います。

ただ、確かに何か自分の人生に変化を与えたいと思うとき、
自分の置かれた環境に疑問を持つこともあるでしょう。

自分の理想の人生に向かって努力しようとしても、
家族や身の回りの人が協力してくれないどころか、むしろ、足を引っ張ってくるようなケース。

こうした場合には、時には全てを捨てて、
新しい世界へチャレンジすることも必要かもしれません。

ですが、自分にとって大切な人、自分にとって身近な人が、
あまりに強い反発をする時には、自分の態度のほうも疑ってみてください。
(あくまで自分にとって大切な人たちの場合。)

もしかしたら、自分の視野が狭くなっているかもしれません。

そこまで大袈裟な話でなくても、
大切な人に良かれと思って、

・ 自分が信奉している神社のお守りを孫に身に付けることを強要している。

・ 波動が良いという高価な健康食品を家族に送りつけている。

など、むしろ家族間の関係を微妙なものにしていませんか?

結果として、あなたにとって、あなたの判断が間違っていなくても、
周囲の人が傷ついてしまう可能性はあるのです。

セラピー的な観点から言えば、あなたが傷つけた傷は、あなたの傷と同じです。

いつか、あなた自身が癒す必要になる時がきますので、できればその傷は少ないほうがいい。

あなた自身の信仰や判断自体は自由です。
変える必要はありません。

ただ、少し自分を見つめる「ゆとり」があるかどうかだけ、
自分にとって、誰が大切な人なのかを確認できる「ゆとり」があるかだけを
チェックしてみてください。

たとえ周囲の意見が間違っていると感じても、
大切な人の意見にちょっとだけでも耳を傾けてみる。

そうしたちょっとした自己観察と歩み寄りの態度が、
ファンタジーではない、リアリティ(現実性)のある豊かな人間関係をもたらしてくれるのです。

 ◇ スピリチュアルは、強要されてやるものではない


霊感商法のように、スピリチュアリティをビジネスとして悪用する人たちがいます。
一方で、本当に良かれと思って盲目的に押し付けて来る人たちもいます。

自分の心が弱っている時は、冷静な判断が難しく、
そうした怪しげなものに頼ってしまうことも無理もないかもしれません。

ですが、わずかでも抵抗感がある場合は、やはり待っていただきたい。

スピリチュアリティとは、自分を豊かにするものであって、
不安を埋め合わせるような種類のものではなく、
そこには楽しみや喜びがあって欲しい。

なので、

    ・ 不安や劣等感をあおられていると感じるとき
    ・ 気が進まないとき
    ・ 勧誘がしつこいと感じるとき
    ・ 相手を魅力的に感じないとき
    ・ 利用されていると感じるとき
    ・ 自分の短所を批判されたと感じたとき

などは、手を出す必要はありません。

癒しの過程の中では、自分が見たくないものや知りたくないことと向き合うことで、
時には不愉快な気持ちになり、辛い苦しみを体験することもあるでしょう。

でも、それは、自分の足で踏み出した時に体験することで、
誰かに強要されて体験するものではないのです。

精神的な修行には「苦しみ」が不可欠と考える方もいらっしゃるかもしれませんが、
ただ、生きてさえいれば、当たり前のように「苦しみ」は体験できるものです。
(むしろ修行という「苦しみ」に集中することを言い訳にして、
 現実の向き合うべき「苦しみ」から逃避するケースがあるくらいです。)

無理することは、全くありません。

自分の気が進まなければ、
そうした世界の先輩や先生たちのもっともらしい話を受け入れる必要はありません。

やっかいなことに、人は悪意があるときよりも、相手に良かれと思っているときのほうが、
強引な押し付けをしてくるものです。

相手に悪気がないからといって、あなたが恐縮する必要はありません。
そうした独善的な押し付けと、本当にあなたを思いやる気持ちとは、感じ分けることが大切です。

自由になりたくて入ろうとする世界で、結局人間関係に縛られるようでは意味がありませんし、
ちょっとでも「押し付けられる」と思ったら、「断る」くらいの気持ちでいいでしょう。

自分の感性を何より大事にしてください。

 ◇ 「ここ」ではない「どこか」に「うまい話」はない


スピリチュアルの世界では、
「今、ここ(presence)」といった概念がとても大事にされます。

「過去」「現在」「未来」という言い方をすれば、いわゆる「現在」です。

存在するのはいつでも「今、この瞬間」だけ。

「今、ここ」だけに意識を向ければ、
「過去」の後悔も「未来」への不安も存在せず、『心の平穏』が訪れるという訳です。

これには、私も全く同感です。

ですが、「過去」や「未来」に意識を向けないようにしているうちに、
「今、ここ」に対しても意識を向けてなくなっている人もいるように見受けられます。

「今、ここ」と言いながら、
目の前の問題や人間関係よりも、ファンタジーの世界を大切にしてしまう。
こうなってくるともはや現実逃避です。
(「今この瞬間」に「過去」も「未来」も含まれているというのが正確な表現なのかもしれません。)

辛く苦しい現実と向き合うとき、そうした現実逃避が、
一時的に心にゆとりを与え、エネルギーを回復させることは確かにあります。
(それこそがスピリチュアルの大事な役割のひとつです。)

こうした体験があると、何か自分の知らない神秘的な世界に、
自分の求める答えがあるのではないかと思うのも自然なことでしょう。

ですが、そもそも「今、ここ」と言われているように、
「ここ」ではない「どこか」に「うまい話」は、残念ながらありません。


日本を代表するスピリチュアルのひとつに禅仏教があります。

禅仏教というと、なんといっても座禅(瞑想)を大切にしますが、
悟りの入り口はいつでも「今、ここ」の目の前にあるとされます。

ゆえに掃除や洗濯、食事といった日々の所作をとても大切にし、
それら自体が修行の一部として扱われます。

日々当たり前にすることの中に、神秘性を見出し、日々当たり前に大事にする。

こうした修行僧の姿に、本物の「スピリチュアリティ」の姿があるのではないでしょうか?


あなたのスピリチュアル・ライフが、より豊かなものでありますように… !